2011年12月14日水曜日

漂流の終わり

12月1日、ついに2013年卒の就職活動が始まりました。
今年は震災の影響で例年より2ヶ月遅れての開始となりました。

中学校を卒業してから約10年。
この10年間を一言で良い表すと「漂流」の期間でした。
漂流と言っても決してネガティブなものではなく、とにかく遊び、様々な仕事をして、多くの人に出会い、色々な考え方に出会い、そして様々な経験を積んできたいう意味において、また大きなビジョンを持つことができなかったゆえにそれを求めて苦悶し続けたという二つの意味において、ポジティブな意味で漂流と表現するのが一番しっくりくるのかなと。

とにかく遊んだ。
素晴らしい仲間に出会えた。
楽しかった。
それ以上に辛いこともたくさんあった。
ひどいこともした。
人生を変える劇的な出会いに恵まれた。
多くの仕事をした。
社会の現実というものを肌で感じた。
己の不甲斐なさを恥じた。
そして何よりも色々な人に出会えた。

この世間一般からしたら普通ではないかもしれない、長かった漂流生活もついに終わりを迎えると思うとなんだか感慨深いです。

誰の人生にも歴史があるように僕の人生にも積み上げてきた歴史があります。
きっと今後の人生はこの10年の経験を色濃く反映していくのだと思う。

これから始まる就職活動。
ここではビジョンをしっかりと持って、自分の過去、現在、未来と全て繋がる、今までの経験を何らかの形で反映できる職業に就くために全力を尽くします。

10年前では絶対に考えられなかった現在の状況。
かつての自分では絶対に就き得なかった職業に就ける土俵に立っている。
もちろんここで得た仕事が一生の仕事になるとは限らないけど、全力を尽くす価値はある。
これだから人生は面白い。

就職活動、やったります。

2011年10月10日月曜日

深い衝撃

先月、北海道に行ってきました。

人生初の北海道ということで、広大な大地、澄み渡った空気、そして味噌ラーメンとあらゆるものが僕にとって新鮮で、とても実りある素晴らしい時間でした。

そのなかでも、最も衝撃かつ印象に残っている出来事を紹介したいと思います。

実は、苫小牧市にある社台スタリオンステーションにて、伝説の三冠馬ディープインパクトに会ってきました。

2005年の三冠馬「ディープインパクト」
史上2頭目の無敗でクラッシック三冠を達成するなど数々の記録を残した名馬
鞍上は武豊騎手

北海道旅行の本当の目的は僕が大学で所属しているゼミの合宿だったのですが、自分の中では完全にディープに会うことが目的になっていました。(ゼミ長なのにすみません・・・)

それほど楽しみにしていたこの瞬間。

本来、ゼミ生は新千歳空港から宿泊地である札幌市まで移動する予定になっていましたが、目的地である社台スタリオンステーションが空港から20分の近距離にあるということで、僕と友人の@_ryhは先生にお願いして別行動を取ることに。

しかしさすが北海道。
その広大すぎる大地ゆえ、交通機関が他の都市ほど十分に張り巡らされていません。
泣く泣く往復8000円もかかるタクシーに乗り目的地へ。

道中、僕の興奮は最高潮。
胸の高鳴りはとどまるところを知りません。

そして対面の瞬間。

ディープインパクト
2011/9/17社台スタリオンステーションにて

伝説の三冠馬がそこにはいました。
現役時には「翔ぶ」と形容された力強さと優雅な気品を漂わせながら。
深い衝撃という名前の通り、人々に深い衝撃を与えたディープインパクト。
現在は種牡馬生活を送っているため現役時に比べると馬体はふっくらとした印象でしたが、引退から5年経った現在でも大名馬たる風格を十分に備えていました。

ここでディープの経歴を簡単に紹介したいと思います。

父はサンデーサイレンス(sunday silence)
母はウインドインハーヘア(wind in her hair)

余談ですが、ウインドインハーヘアはなんとセンスのある名前でしょうか。
直訳ですが「wind in her hair」は「彼女の毛の中の風」という意ですね。

サンデーサイレンスも歴史上最も優秀な種牡馬の一頭に数えられる名馬です。

この偉大なる両親の元、2002年に生まれたディープインパクト。

幼少期のディープは、体のバランスは良いが他の馬と比較して目立って良い点は見受けられず、また馬体も小さかったため、あまり期待されていなかったそうです。

そのためか、ディープは0歳時に行われたセレクトセールでサンデーサイレンス産駒14頭のうち9番目というあまり高くない評価でオーナーの金子真人さんに落札されています。

しかし、周囲の低評価とは裏腹に、金子さんはディープの持つ瞳の力強さ、そしてその輝きに衝撃を受けて落札を決断したそうです。

金子さんはこの時のディープの瞳の輝きに受けた衝撃と、多くの人に強い衝撃を与えるような馬になって欲しいとの願いを込めてこの仔馬をディープインパクトと名付けました。

ここからはあまり語る必要もありません。

デビューから7戦全勝
有馬記念ではハーツクライに次ぐ2着、フランスで行われた凱旋門賞でも2着(後に失格)と敗れはしましたが、生涯成績は14戦12勝(2着2回)の堂々たる競走成績です。

2005年にはシンボリルドルフ以来となる史上2頭目の無敗でのクラッシック三冠を達成しました。(シンボリルドルフは先日の10/4に30歳で亡くなりました。)

ちなみに中央競馬におけるクラシック三冠とは、以下の3つを制覇することです。

皐月賞
東京優駿
菊花賞

日本の歴史上、三冠の達成馬はこれまで6頭しかいません。
そのなかで、ディープは無敗での達成という大記録を樹立しました。

そんな史上最高の名馬に一目会えただけで、同じ空間にいられただけで、本当に幸せでした。

他にもかつて競馬場に名を轟かせた名馬達が放牧されていました。
シンボリクリスエス、ダイワメジャー、キングカメハメハ、クロフネ、キンシャサノキセキ
もう・・・感動しっぱなしでした。

社台スタリオンステーションにはディープインパクトに国内で唯一土を付けたハーツクライやかつての三冠馬トウカイテイオーもいるようでしたが、残念ながら会うことはできず。

しかし、ディープに会えただけでも十分に満足です。
僕の心にも実際にディープは深い衝撃を残してくれました。

ここで、なぜ僕が競馬を好きになったのかを説明したいと思います。

きっかけは先ほども紹介した友人の@_ryhでした。
彼は幼少期から両親の影響で競馬を見ている十年以上の筋金入りの競馬ファンです。
当然、彼が競馬好きなことは知っていました。

僕はこれまでナリタブライアンやディープインパクトといった名馬達の名前くらいは聞いたことがあっても競馬については全く興味の無い人間であり、当然馬券など買ったことがありませんでした。

しかし、今年の6月に僕の人生観を変える出来事が起こりました。

6月5日に行われた第61回安田記念
春のマイラー(1,600M)を決めるG1レースです。

この前日、彼は僕の家に来て突然レースの予想をし始めたのです。
そこで、馬の素晴らしさ、どのような指標を用いて勝ち馬を予想するのか、そして歴史上の名馬の話などを熱く一時間ほど聞かされました。

翌日の安田記念の予想も。

そこまで語られると、さすがにレースの予想をしてしまいますよね。

僕も素人ながら、競馬を予想する際に参考にする様々な指標(戦歴、体重、コース、タイム、血統、調子、距離等)を駆使して数時間かけて予想しました。

①ストロングリターン
⑧アパパネ
⑭リアルインパクト

馬券はこの18頭中この3頭を中心に購入。

そして当日。

当たりました。

1着リアルインパクト、2着ストロングリターン、一番人気のアパパネは6着。

単勝オッズ
リアルインパクト:29,3倍
ストロングリターン:11,9倍
1着、2着の馬連には122,7倍という高額オッズが付きました。

僕は①−⑭の馬連を1,000円分購入していたので、なんと初競馬で122,700円を得ることになってしまいました。

もう興奮ですね。

初めて真剣に見る競馬中継。
気がついたら汗ばむ拳を握り締めている自分。
馬がゴールした瞬間は混戦だったの着順が全く分かりませんでしたが、確定画面が出て自分の馬券を確認した瞬間、アドレナリンが大量に放出されているのを感じました。

第61回安田記念
ゴール前の非常に混戦した様子が分かる
左端の馬が牝馬三冠を達成した一番人気アパパネ

しかも、競馬のイロハを教えてくれた友人も偶然にも全く同じ馬券を買っていたので、一瞬にして二人で合計24万円を獲得したわけです。

二人して狂喜乱舞です。

もう完全にジャンキーですね。

この出来事が契機となり、僕は競馬を好きになりました。
いや、厳密に言うと馬が好きになったと言う方が適切ですね。

ちなみに、僕は毎週競馬に大金を注ぎ込んだり、お金を目的として競馬をしているわけではありません。これは誤解されたくない。

競馬をする動機は人によって様々です。
しかし、僕は決してお金欲しさにやってる訳ではありません。
実際に100円単位で馬券を購入することもよくあります。
お金欲しさに競馬をする人ならこのような買い方はしないでしょう。

競馬において勝敗を予想する上で重要な様々な要素を一つずつ拾い集め、それを総合的に勘案し、思考し、最終的に己の頭で確固たる決断を下す。
競馬のこの性質は、ギャンブルのそれとは大きく意味が異なります。
もちろん運も必要ですが、そこにある原理は投資と同じです。

つまり、馬を選ぶまでに経た思考のプロセス、そして何時間もかけて下した決断が間違っていなかったことが結果という形で客観的に証明されることに、ある種の喜びを感じるのです。
あくまで賞金はその対価であって、的中した時に得られる興奮の本質ではありません。

馬の血統、その歴史に思いを馳せ、好きな馬を応援することに楽しみを感じるのです。

そして、何よりも馬が可愛い。

初めはディープインパクトの息子だということで何気なく選んだリアルインパクト。
そしてその馬を選んで勝ってしまったという事実。
そこから、リアルインパクトやその血統について調べるようになり、気がつけば競馬そのものについて興味を持つようになりました。

一度火がついた知的好奇心は簡単には止められません。

リアルインパクト→ディープインパクト→クラシック三冠とは→過去の三冠達成者→シンボリルドルフ→その息子であるトウカイテイオー→競馬の歴史→エンドレス・・・

このようなフローで一度調べ始めたらもう止まらないのです。

馬や競馬の歴史を調べれば調べるほどその奥深さに魅了されていくようになりました。
そして何よりも馬が好きになりました。

だからこそ、今回北海道に行くにあたり社台スタリオンステーションを訪れたかった。

歴史上数多く存在する名馬の中でも最も好きな馬、偉大な三冠馬ディープインパクト。

いち競馬ファンとして、その雄姿を見れて本当に幸せでした。

最後に最も好きなディープのレースを紹介して今回の記事を終わりたいと思います。

2005年若駒ステークス
ディープの圧倒的な強さを示したレース

ちなみに、北海道旅行は一日目は社台スタリオンステーションを出た後札幌市内を観光し、二日目は朝から晩までゼミのプレゼンテーションを行いました。
そして、その夜はサッポロビール園でジンギスカンを食べ、ホテルに戻り先生を交えてゼミ生で夜中の2時まで語り合うという素晴らしい経験をすることができました。

ゼミについては機会があればブログに書こうと思います。

2011年9月25日日曜日

人工衛星落下からみる世界の規範

せっかくブログを始めたのに全く更新していませんでした。

今後は"今"感じていることをマイペースに綴っていきたいと思います。

今回は、ある事象についてTwitterに投稿した文章をブログ用にまとめてみました。


ブログ用に書いた記事ではないので読み辛いかも知れません。


「人工衛星落下からみる世界の規範」

最近、活動期間を終え制御不能になった大気観測衛星が地球上に落下するとメディア等で話題になっていたが、本日のNASAの公式発表によると人工衛星は大気圏を通過し、太平洋上に落下したことが確認されたそうだ。

今回落下した大気観測衛星「UARS」

正確な状況はまだ明らかになっていないが、幸いにも落下物による被害報告はなされていないようである。
これにより、人工衛星落下によって起こり得る最悪の事態は避けられたと言ってもよい。

しかし、被害者が出なかったことに安堵すると同時に、この件についていくつかの想いが込み上げてきた。
そこで、自らが感じたことを以下にまとめていきたい。

まず、全く科学的知識の欠片もない主観的意見だが、活動停止した人工衛星が地球上に落下することが明確になった時点で関係機関は何らかの安全保障上の対策を講じるべきであった。

今回の衛星は民間機関によって打ち上げられたものではない。
アメリカのNASAという公式機関によって宇宙空間に打ち上げられたものなのだ。

つまり、国家は自らの責任で宇宙空間に打ち上げた人工衛星について、その残骸が燃え尽き最後の塵になるまで責任を持つことが当然の責務であり、国民を落下衛星の脅威に晒すなどという状況は本来あってはならないのである。

しかし、落下衛星のリスクに関するNASAが行った発表は自身の知る限り「衛星の破片が人に当たって負傷する確立は3200分の1」というものに限られており、安全保障における対策は実行されていないようだ。
また、日本政府の対応としても外出を控える程度の呼びかけがなされたのみである。
(他にも発表はあったと思われるが、一般人が得る情報はこの程度であろう)

つまり、NASAをはじめとする諸機関や国家は、どの国民にかかわらず「人間」が衛星の落下によって負傷する可能性が少しでも存在していることを明確に理解していながらも、その脅威を排除しようとせず、ただ傍観者として立ちすくむ他なかったのである。

この無責任な対応は、責務に対する怠慢であり言語道断ではないだろうか。

衛星が地球上のいかなる所にも落下する可能性があり、かつ人間に当たる可能性が3000分の1も試算されているにもかかわらず、相当の注意を促すという程度の対応しか行えない国家は、はたして本気で国民を守る意図があるのだろうかと疑わざるを得ない。

今回のような事態に備え、NASAを管轄するアメリカ政府内においてシェルターを建造するなどという具体的な議論はこれまでになされたのことがあるのか。
なされているのであれば、実際にシェルターなどの避難施設は存在しているのか。

答えは限りなく否だろう。

私は宇宙や衛星について何の知識も持たない一般人なのであくまで想像の範囲になるが、仮に避難施設等が存在するのであれば、有事の混乱を避けるためにも国民にその存在をあらかじめ知らせておくなどの措置は取るのではないだろうか。
(シェルターの存在を前提とするならば、衛星落下のリスクが限りなく低かったためにその存在を意図的に公表しなかったのか、より危険な事態に備えて秘密にしている可能性も考えられる)

また別の手段として、落下する衛星が大気圏に突入する前に宇宙空間で爆発させることにより、リスクを消滅させるなどという対応はできなかったのか。

答えは分からない。

しかし、もし宇宙空間で衛星を破壊することができないのであれば、それはなぜか。
技術的な問題なのか、コストの問題なのか。

3000分の1という数字は宇宙事業に携わる者にとって安全を信頼できる数字だったのか。

多少の犠牲に莫大なコストは払えないのか。

それとも、民間人の命は取るに足らないとでも言うのであろうか。

もし、技術的な問題であるとすれば、冷戦期にアメリカが構想したSDI(戦略防衛構想)や現代の安全保障におけるMAD(相互確証破壊)に基づくミサイル防衛などは虚構である。

実際に国際関係で危機が生じ、それがエスカレーションして核弾頭やミサイルが使用された場合は、その使用は一発にとどまるとは限らない。

場合によっては一度引き金を引くことにより、MADによる見えない均衡が破られ最悪の事態に発展することもあるだろう。

宇宙でゆるやかに動いている(実際には何千km)衛星を破壊することすらできない技術力をもってして、現実的に戦略的なミサイル防衛などできるものかと疑わざるを得ない。

つまり、技術力が脆弱であり、それによって衛星を宇宙空間で粉々にすることが不可能なのであるとすれば、これまでの国際関係における安全保障および核戦略の議論は単なる虚構であり、机上の空論に過ぎなかったことになってしまう。

眼前で繰り広げられる現実を疑ってしまうほど、この一件に対する世界の対応には呆れ返っている。

技術力がない段階で、戦略的な安全保障などできるはずがない。

しまいには、人間が犠牲になる可能性があるにもかかわらず、イギリスのブックメーカーは落下地点を巡り賭け事をする始末である。人間のモラルにも大きな違和感を感じる。

繰り返しになるが、これまでの議論はあくまで推測であり、私自身が宇宙にかかわる知識を持ち合わせていないという前提に基づいている。
また、私が考えるほど落下衛星のリスクは低かったという可能性も十分考えられる。
そもそも私が今回の一件に関して過剰に反応しすぎただけで、実際のリスクはほどんどなかった可能性だって十二分にある。
それでも自分が疑問を抱いた事象に対して深く考察することは非常に意味のあることだ。

かつてソ連のユーリ・ガガーリンによって宇宙空間への扉が開かれた瞬間から、科学者達は人類が作り宇宙に解き放った金属の巨大な塊がいずれ地球上に降り注ぐ日が来ることなど見越していただろう。
ユーリィ・ガガーリン
人類初の宇宙飛行を行った旧ソ連のパイロット
「地球は青かった」の言葉はあまりにも有名

しかし、歴史の先人達は開発と発展という名目のもと、その事実に目をつぶり潜在的に存在し、将来的に表面化するリスクをひた隠しにしてきた。

その結果が、今回の人工衛星に対する無責任な対応として顕著に現れているのではないか。

これまでの宇宙開発は戦争の歴史でもあり、現代の宇宙技術はアメリカとソ連の二大大国のパワーバランスによる冷戦の産物であると言っても過言ではない。

冷戦期の米ソ関係を端的に表す風刺画
お互いがミサイルを抱えて牽制している
左がアメリカ大統領、ハーリー・トルーマン
右がソ連大統領、ヨシフ・スターリン

当時の時代状況を鑑みても、開発と発展が他のどの価値よりも優先されたのは疑いようのない事実であり、それによってその他の価値は犠牲にされてきた。

モラル然り、人権然り、環境然り。

これは何も冷戦期の米ソに限ったことではない。
日本も戦後の高度経済成長期は経済発展という価値を他の何よりも重視した。
現在の中国は環境という価値を踏みにじり冒涜している。

しかし、現代を生きる私たちは過去の犠牲の上に成り立つ発展によって、その恩恵を享受しているのも事実である。

このような開発と発展の代償が、現代では寄せては返す波のように止めどなく押し寄せている。

環境問題、人権問題、南北問題。
戦争孤児などもその犠牲である。

先進国の発展の肥やしとされた発展途上国。

途上国における貧困の原因は先進国にあるとする論者たちもいる。
議論の余地はあるが、コスモポリタンはその典型だ。
(コスモポリタンについてはいずれまたブロブに書きます)

各国が自国の利益のみを追求し開発を行った結果、地球は声なき悲鳴を上げている。

人類は地球の悲鳴に耳を傾けることはできないのだろうか。
はたしてモラルは向上し、道徳的な規範は浸透するのであろうか。

ここで、ある有名な理論を紹介したい。
国際関係の理論でデモクラティック・ピース論という考えである。

これは、民主主義が確立された国家同士では他の体制を採用する国家同士の場合と比較して戦争は起こりにくいとする理論であり、民主化の拡大に伴い国際関係は平和的になっていくという18世紀の思想家カントを源流とするリベラル派が唱える仮説である。

イマヌエル・カント
18世紀ドイツの哲学者
著書「永遠平和のために」の中で述べられた恒久平和の思想は後世に大きな影響を与えた

では、なぜ世界は民主的な世界へと移行していくのか。

これについてリベラル論者達は、民主主義国家が民主主義的規範を共有していれば次第にデモクラシーが世界に浸透し、その過程で戦争は制約され国際関係は平和になると考えた。

つまり、この論に立脚すれば民主的規範は信ずれば浸透するということになる。

しかし、現実では規範は信じれば広まり、そして浸透するという夢はまさに虚構である。

前述したように現実世界において、開発や発展といった価値と環境や規範などの価値がトレードオフ関係になることは難しく、実際に政策として実行される可能性は極めて低い。

環境問題へのBRICsの対応を見ればそれは明らかである。
もはや中国、インド、ロシアは途上国ではない。
しかし、これらの国々は環境よりも経済に重きを置いているのが現実である。

世界平和よりも自国の安全、環境よりも経済発展、何よりも自国の利益が重要なのだ。

これが世界を支配する真理である。

しかし、道徳的規範は浸透するという考えが戯言だと頭では理解していても、そのような世界に憧れてしまう。

その夢を見るためには、信ずることだ。

私は、どのような規範もいつかは世界に巡り広がっていくと信じたい。


今回は朽ち果てた人工衛星をスタートとして、安全保障、規範やモラルといった普段考え及ぶことのない事象について有益な思索にふけることができました。

近いうちまた更新します。次回がまったりとした内容で。

2011年7月22日金曜日

everything's gonna be all right.

"everything's gonna be all right"

この言葉は、僕の尊敬する人であり、偉大なアーティストである

"Bob Marley"の歌詞によく出てくるフレーズ。

Bob Marley

"No woman No cry"という曲の中でこの歌詞が歌われています。

Bob Marley "No Woman No cry"

この素晴らしい言葉をタイトルにして、今回ブログを始めることにしました。

ここでは僕が日々感じたこと、心の動き、思索、日常の些細なこと、また世界中に溢れている情報の海から自分の価値観と世界観に照らし合わせてピックアップした事柄に対する考え方などについて書いていこうと思います。

今の自分の考えなどいつ消えて無くなるか分からない。
自分が絶対的だと信じて疑わなかった価値、考え、そして感覚が次の日にはあっさり変わってしまったということはこれまで何度も経験してきた。
だからこそ、その時々の感覚、価値、そして考えなどを文章という形で残していきたい。
いつか読み返した時、それが自分の成長につながることを信じて。